当院は、千有余年前、名古屋の西北、庄内川を南に臨む地に、淳和天皇の天長六年(西暦829年)、願王寺として開基され、中世には妙光山藤林坊、又は松寿院長奥寺と称されたと尾張名所図絵に記され、越州の高僧澄純法師が一宇を建て、慈覚大師一刀三礼御自作の薬師如来を安置し、疫病消除の秘伝を修し、治病したのが始まりと伝えられる。
 明治年間、善照院伏雷法師により信州善光寺より本尊善光寺如来を勧請し、昭和4年撞木造りの豪壮な本堂が建立された。以来、「善光寺別院願王寺」と称され、善光寺さんの名で地域住民に親しまれ今日に至る。

 その後、永年の風雪で老朽化も著しく、篤信の浄財の寄進により昭和49年、由緒ある建物の素材を活かしながらも斬新な五角形総ガラス張りの本堂に生まれ変わり、境内の咳・ぜんそくの「へちま薬師」とともに、参詣者の絶え間がない。

 古くから「小田井人足」「畳表」の名で知られた当地は、岩倉、清洲、名古屋と結ぶ街道筋「岩倉街道」として栄え、その当時に想いを馳せるにふさわしく、歴史のロマンを秘め、その街並に今も往時をしのぶことができる。

 昭和62年、この地区一帯は、街並保存地域に指定され、当寺所有の数多い寺宝とともに、超近代的な本堂が、周囲の古い街並に絶妙な調和を見せ、昭和52年、現本堂の「日本建築学会賞」受賞とともに、国内はもとより、海外の建築設計家・宗教家の注目を集め、訪ねる人も枚挙に暇がない。加えて、念願の山門建立も地域をはじめ、当寺由縁、篤信の方々のお力添えにより、昭和62年10月、見事落慶をみた。


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